駆け出しグーナーとして、アーセナルに関わる歴史を学んでいきたい・・・!猿チャンネルを毎日見ている僕は、そんな思いが込み上げてきました。いろんな過去の選手を紹介しながら、自分もアーセナルについて詳しくなりたい一心で、選手紹介をしていきます!!
まずは、「ソル・キャンベル(Sol Campbell)」。トッテナムのキャプテンがアーセナルに移籍したとあって、いまだにスパーズファンからは目の敵にされているそうです。
選手がチームを選んでステップアップしていくのは当然ですが、一方でサポーターも選手への思い入れがある。選手の長期的なキャリアを考えると、最低限サポーター感情にも配慮したクラブ選びが必要になってくるんだな、と思わずにはいられませんでした。
ソルキャンベルの基礎情報
まずは選手時代の基礎情報をまとめました。
日本代表が初出場した1998年のワールドカップフランス大会、2002年日韓大会にも出場していたんですね。2002年のイングランド代表を見てみると、リオ・ファーディナンドやベッカム、マイケル・オーウェンなど錚々たる名前が並んでいます。その面々でイングランド代表センターバックを務めていた事実からも、屈指のディフェンダーだったことがわかりますね。
生年月日 | 1974年9月18日(49歳、2024年6月現在) |
出身地 | ロンドン |
身長 | 188cm |
体重 | 85kg |
代表歴 | イングランド代表73試合出場 |
ポジション | センターバック |
ソルキャンベルのキャリア
ソル・キャンベルの「禁断の移籍」につながるキャリアを紐解いていきましょう。
1992年から2001年までトッテナム・ホットスパーでプレイし、その後2001年から2006年までアーセナルで活躍しました。
トッテナムアカデミー出身で、2001年にはキャプテンを務めてタイトル獲得まで実現しました。それなのに、「ノースロンドンダービー」と言われる近隣のライバルクラブであるアーセナルへの移籍を決断したことに対し、トッテナムのファンからは今でも罵声を浴びせられています。
所属クラブの変遷は以下の通り。
年 | クラブ | 出場試合数 | 得点数 |
1992-2001 | トッテナム | 255 | 10 |
2001-2006 | アーセナル | 135 | 8 |
2006-2009 | ポーツマスFC | 95 | 2 |
2009 | ノッツ・カウンティ | 1 | 0 |
2010 | アーセナル | 11 | 0 |
2010-2011 | ニューカッスル | 7 | 0 |
好きで聴いている「サッカーと英語」でも紹介されていました。「トヨタから日産に転職するのは普通だけど、サッカー選手では毎試合観にくるファンがいるから、許されない移籍がある」と指摘されています。
/https://footballenglish.jp/jp/podcast/season-4/sol-campbell
トッテナムでのソルキャンベル
トッテナムでのソル・キャンベルは、その強靭なフィジカルとリーダーシップでチームを牽引していました。
しかし、彼のトッテナムでのキャリアは、彼がアーセナルへの「禁断の移籍」を選んだことで一変。それまでの功績が一瞬にして影を潜め、彼はファンからの厳しい批判を受けました。
キャンベルは、多くのタイトルをチームで獲得するためにアーセナルを選びましたが、ファンにとっては到底許せるものではなかったのです。
アーセナルへの「禁断の移籍」
アーセナルへの移籍は、多くのトッテナムのファンを怒らせました。
トッテナムのホームスタジアムに彼が凱旋した際の、スパーズファンによる抗議の声が強烈です。令和の時代ではおそらく許されないであろう「judas(裏切り者)」(ユダ=聖書でキリストを裏切ったとされる)チャントをお聞きください。
しかし、ソル・キャンベルは移籍後に素晴らしいパフォーマンスを見せ、アーセナルの「不敗のシーズン」を達成する重要な役割を果たしました。アンリ、ベルカンプ、エドゥらが活躍した「インビンシブル」時代です。
ソルキャンベルの移籍騒動から考える選手の移籍
彼のキャリアの選択は、今の若い世代の選手たちにとっても参考になるものでしょう。
文中で紹介した「サッカーと英語」では、「禁断の移籍」の条件として以下の4つをあげています。そして、ソル・キャンベルは4つすべてを満たしているからこそ、今日まで「禁断の移籍」の好例として語り継がれているのです。
- 2つのクラブが本当のライバル関係にある(リーグで上位を争っている)
- 地元のクラブ同士である
- ライバルクラブに直接移籍する(他のクラブを経由しない)
- 移籍したクラブで、さらに活躍する
近年のプレミアリーグで頂上決戦を繰り広げるマンチェスターシティからアーセナルに移籍したジェズス(ブラジル)、ジンチェンコ(ウクライナ)を例にあげると、シティとアーセナルはホームタウンが異なるため、禁断の移籍とは呼ばれないでしょう。
まとめ
ソル・キャンベルのキャリアは、一部のサポーターからは批判されることもありましたが、彼の才能と成果は誰もが認めるもの。選手引退後は、イングランド下部リーグで監督も務めたようです。
同世代との会話でソル・キャンベルの名前を出す日が来るとは考えにくいですが、機を見て布教活動のチャンスを狙っていきます。
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